「 彼は実は早大生で、そのときは新宿駅前で十人近い男女と並んで靴磨きのアルバイトを続けていた。
彼以外はみな本職である。彼は「年頭小言」の載っている新聞を同業の人の数だけ買い、みんなに読ませた。そしてこういった。
「われわれはこの往来の砂利となって人々にふまれながら、日本の行く道を固める人間になろうじゃないか」
みんな汚れた手で新聞を握りしめながら泣いたという。
如是閑が「クツみがき」を書いた戦後期と今日とでは、社会相も価値観も違い、私自身、靴磨きを”下層の街頭の砂利”とは毛頭思わない。
ただ如是閑の心のたかぶりには共感する。
同時に当時の新聞と読者・国民との濃密な結びつき、とりわけ新聞の重みとでもいったものに心を打たれるのである。
もちろん、テレビの発達などマスメディアの多様化が進んだ今日、新聞のウェートが相対的に低下したのは理解できる。
だが、それにしても、いまの新聞は軽すぎはしまいか。
新聞人に気の緩みというか、時代をリードする気概の欠如が感じられてならない。
(中略)
なによりもまず、新聞・新聞人に時代を切りひらく気概を持ってほしいと思う。」
(平成2年5月12日付)
(「見る 読む 叱る 私のメディア評論」 青木彰 東京新聞出版局 平成6年4月発行)