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<羯南と古島一雄>(17) 私立大学評判記(その10)

 前回から引き続き「(四)私立大学の勃興」についてである。
 
 明治30年代、慶応義塾大学と早稲田大学は、私学の中で一歩抜きん出た存在であり、“大学”と謳っていた。でも、現在とは異なり、両大学とも学生募集には苦慮してきた。学生数の減少により、経営危機に陥った時期もあったのである。

 当時は、今のように私学助成という国からの補助金はなく、私学は、収入のほとんどを学費でまかなっていた。法律学校においては、学生数がその二大学に及ばず、学校経営は苦しかった。

 しかし、そうした中に、教育の質を充実すべく努力していたところもあった。古島一雄は、それを高く評価し、当記事に次のような事例を紹介したのである。

 「明治三十二年、英吉利法律学校が法学院と改称せしは、当時杉浦氏の文学院、樫村氏の医学院と相合して、一の大学を興さんと欲するに在りしは吾人の知る所なり。而して昨年五月、今の専門学科を修むる学年が、普通学の素養に乏しきを憂ひ、少なくとも中学卒業以上の学力を有するものにあらざれば、入学を許さざるの方針を定め、同時に其学制を改めんと期したりしは、又た吾人の記憶に新たなるのみならず、吾人は私かに其の意気を壮としたり。」

 法学院(現・中央大学)は、他の私学と合併して大学を設立しようと考えた。大学という高度な課程を設置する以上、従来の中心の課程である専門学科にも中学卒業(現在の高校卒業と同様)以上の学力を有することを入学の条件とした。

 そもそも専門学科は、学力が伴わなくても入学が可能であった。だから普通学(現在の主要5教科に相当)の学力に劣る学生が多く、授業に支障を来たしていた。だが、当時の法律学校は経営を優先したためそうした学生でも受け入れていたのである。

 当然、一定の学力の条件を付せば、学生数は減少し経営危機に陥り、自殺行為にもなりかねないのである。古島は、それでも教育の質の向上を目指す法学院の行為を、大いに評価したのであった。

 以上のような状況の中で、専門学校令が登場することになる。現在では信じられないことだが、明治36年まで私立大学(私立“大学”なのに専門学校令とはおかしいが、国が意味する“大学”とは、 帝国大学のみであった。)や法律学校についての法的根拠がなかった。しかし、高まる進学熱に押され、政府はその法制化を模索していた。巷間でも、文部省から専門学校令が出されると洩れ聞こえていた。  

 その法令の中で、入学資格については、中学校卒業もしくはそれと同等以上の学力を有するものを対象とするという、厳しい内容となるとの予想であった。

 古島は、この方針に賛成だった。しかし、蓋を開けてみると、想定どおりの専門学科ばかりでなく、中学卒業の学力を必要としない別科を含めて認めるという寛大なものであった。各法律学校は、なだれ込むように、こぞって専門学校令に飛びついた。

 古島は、従来から帝国大学の弊害を指摘し、私学の立場を擁護してきたのであるが、さすがにその行動に対しては、憤りを感じざるを得なかった。     (つづく)   

 いしがみ
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by kuga-katsunan | 2009-07-29 11:33 | その他 | Comments(0)
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明治を代表する言論人・ジャーナリストである陸羯南の足跡を追う          昭和後期~平成におけるマスコミ界のご意見番・青木彰の弟子達による記録
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