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井上劍花坊(6)

引き続き、坂本幸四郎「井上劍花坊・鶴彬-川柳革新の旗手たち」(1990)を中心に引用を進める(pp.59-63)。

「『日本』新聞の、川柳欄、「新題柳樽」は好評で、ちょうど1年がたった、明治37(1904)年7月3日には、投句者が300余名に増え、井上秋劍は、選者名を「新題山柳樽寺和尚劍花坊(しんだいさんりゅうそんじおしょうけんかぼう)」と名乗った。

これから後年、この派が、柳樽寺派といわれるようになり、主宰者の劍花坊は、門下生から和尚の愛称で呼ばれるようになる。・・・(ペンネームを坊主にしたのは、)天田愚庵との邂逅からだという。・・・天田愚庵は、1854年平藩主安藤信正の家臣、甘田平太郎の五男として生まれ・・・漢詩のほかに万葉調の和歌を能くし、正岡子規に多くの影響を与えた。

・・・神田のニコライ新学校で・・正院の大主記である小池祥敬に出会い・・・生涯の大恩人、山岡鉄舟を紹介され・・・国学の師、落合直亮を知った・・・1873年、直亮が開塾した中教院で、生涯の友となった、国分高胤と落合直文を知り、国分によって、陸羯南、福本日南ら『日本』新聞をよりどころとする人たちを知る。

・・・1882年春、産寧坂に草庵をかまえ愚庵と称し・・・ここに多数の文人が訪れ、正岡子規、河東碧梧桐、桂湖南、国分青崖らもその仲間であった。・・・1903年5月上京、日本新聞社の特別桟敷で初日から千秋楽までの9日間、角力記者であった井上秋劍と二人ならんで観戦した・・・。

そのひと月後、7月3日、『日本』新聞に、「新題柳樽」の川柳欄を設けた・・・天田愚庵研究家、柳内守一は

秋劍は、愚庵を思慕したものであろう。川柳革新の砦を柳樽寺と名づけ、己を僧にみたて、禅童、劍花坊、秋劍禅侶、大和尚などと呼称した。やがて川柳を中興したといわれる柳樽寺派と、その総帥、井上劍花坊の誕生はここからであった(『川柳人』1987年1・2月号)

といっている。」


しぶさわ
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by kuga-katsunan | 2009-06-08 00:08 | 研究 | Comments(0)
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